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SCENE SECTION

01.死焔 / 02.絡想 / 03.砕願 / 04.対撃・救戯・要塞 / 05.喪失 /

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突き放すようにレインから手を離すと、トアは一顧だにもせず扉から出て行ってしまった。

自若として乱れた首元を正すレインに歩み寄ったヴァンが、すこし痛みを感じさせるような温顔でレインの肩に触れる。

「悪ぃな。トアは…中央に対する嫌忌(トラウマ)が強すぎて、痛みをコントロールできないんだ」

「…解っている」

頷いたレインがヴァンを見上げた。
愛する存在を惨殺された人間がどれだけの心的傷害を負うのかをレインは知っている。

彼らには朝も夜もない。
ただ闇の中に落ちて、息もできずに心を失う。

数多の惨劇の上に自分が立っていることも、大量の血が金に変わるという事実も否定する気はなかった。

「俺も嫌いだぜ、てめぇは」

2人の触れ合う情景を忌々しそうに黙視していたジーマが口を開いた。
視線を落としがてら嘆息を漏らして、ポケットから引き抜いた両手を腰に当てる。

「だけど元凶ってのが何なのかは理解してる。…トアもだ。あいつは優しいから、ここにいる全員の憎しみをしょっちまう。だからあんたを徹底的に嫌うんだ。…それでも、やんなきゃいけねぇことはある。――――そうだろヴァン」

足を踏み出したジーマが少しだけレインとの距離を詰めた。
ヴァンと軽く拳を交わすと、まだ幼さの残る笑顔でひとつ頷く。

「感情的なハナシはヌきだ。とりあえずな。…俺はボスの指示に従うぜ」





スペイン北東部に位置するカタルーニャの州都、バルセロナに生まれたトア・バリュスは、19世紀に造られた旧市街の目抜き通りに6歳まで住んでいた。

友人たちに別れを告げランブラスの並木道を通る頃には、活気に満ちた街はいつも薄暮に揺れていた。

カタルーニャ通りからコロンブス広場までの約1.5kmの並木道には様々な誘惑があり、色鮮やかな花にもダンキンドーナツの甘い匂いにも、大道芸人にも気をとられ時間を費やしてしまうのだが、トアにとって何よりも魅力的なものは別の場所にあった。

通りの中ほど、ゴシック地区近くに建つリセウ劇場では、通常のシーズンとは関係なく年中オペラが公演されていて、ひとつのオペラ上演が8〜14回ある。

そのうちの何回かは歌手が違い、歌手によってはチケットが半額以下になる日もあった。
値段の違いは単純に知名度だけの問題で、値段の安い日の歌手が劣っているというわけではない。

安い日のチケットを母親に買ってもらい一緒に鑑賞するのが、トアはなによりも楽しみだった。

公演中の「マクベス」は一度だけ見たことがあり、舞台を動き回るどの人物の台詞も動きも、目を瞑れば完璧に思い描くことができる。

舞台に立って歌い、演じるのが夢だった。

劇場付近をしばらく歩き回り、公演スケジュールと値段、時間を入念にチェックし、劇場から出てくる人たちの感想を聞き、ようやく満足した頃には初更になっていた。

慌てて並木道を駆ける。
今晩は食事の手伝いをすると約束していたのを想起して、トアは泣きそうになっていた。

母親が機嫌を損ねてしまったら、今週末約束していたオペラに連れて行ってもらえないかもしれない。

壁にテンペラ画の描かれた2階建の家まで辿り着くと、絵を踏まないよう注意しながら煉瓦に片足をつけ、勢いよくアーチつきのテラスへ飛び乗った。

そっと2階の自室から1階へ顔を覗かせる。

夕食の時間を過ぎたというのにリビングからはパエージャの匂いもクレマ・カタラナの馥郁もなく、母親の笑い声も妹たちの喧嘩の声も聞こえてこなかった。

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