page04
SCENE SECTION
01.痛み / 02.潜入 / 03.ジャッジ / 04.焔魔 / 05.偽りの理由 /
06.遺恨 / 07.欠陥 / 08.恋人
強すぎる力が徐々にレインの身体を、精神を蝕んでいっていることは事実で、そのことを誰よりレイン自身が恐れ、痛心している。
そんな彼を見守ることしかできない自分を歯痒く感じることはあったが、ブラッドは、彼がどう変わろうとも、何者になろうとも傍にいることを心に決めていた。
「ブラッド」
背中にぴったりとくっついたまま、レインが言う。
「コーヒー飲んだら…」
「わかってるよ」
最後まで言わせないのは、どうせレインが最後まで言わないことを知っているからだ。
コーヒー飲んだら、もう一回シたい。
そんなことを最後まで素直に言える性格じゃないのは、もう知ってる。
「美味いの淹れてやるから。待ってろ」
「……」
真実を知りたい。
近頃になって、レインは以前よりも強く庶幾するようになっていた。
こうして…ブラッドと一緒にいるために。
この身体さえ、自分自身さえ信じられないこんな状態では…。
いつ、自分という自我を失ってしまうのか。
そうなったときに、もしも、万が一にでも――――ブラッドを傷つけることがあったとしたら。
その惧(おそ)れはあの日、ソールズベリーで現実になってしまった。
――――こわいんだ。
俺には解ってる。
徐々に、何かが――――俺を。
「ほら」
ブラッドに手渡されたカップからは温かい湯気が立ち上り、濃いエスプレッソとミルクのいい香りが漂ってくる。
「ブラッド」
顔を上げて名前を呼ぶと、カップに口をつけようとしていたブラッドと視線が合った。
「ん?」
「……」
なにかを言おうと口を開き、しばらくブラッドを見つめていたレインだったが、小さく首を振ると目を逸らし、熱いカフェオレをすこしだけ口に含む。
「……。美味い」
「……。だろ」
ベッドに戻るまでの間、レインはブラッドと一度も視線を合わせなかった。
モスクワ、クツゾフスキー通り。
個人経営の小さなレストランの空席をぽつぽつと埋めている客は、みな裕福な身なりをしている。この界隈はいわゆる、ブルジョワ層の居住区だ。
目の前に並んだ新鮮な魚や野菜には一切手をつけず、自ら持参したミネラルウォーターを少しだけ喉に通すと、藤間一哉は、正面に座っている今回のパートナー、グウェンダル・クロードと、斜め向かいに座っている依頼代行人、バルタザールを、無頓着な面持ちで流し見た。
「まだナイプ(スナイパー)には情報、回ってねぇんだな」
流暢なロシア語。
スラブ語派からナ・デネ語族といった少数民族の言葉まで、あらゆる言語を習得している一哉は、発音も表現も、まるでそこに居住しているかのように完璧に使いこなす。
野菜を豪快に口の中に押し込んでから、バルタザールが頷いた。
四十代後半ぐらいの大男で、すこし恐い風貌のバルタザールは、ロシア連邦保安庁、FSBの将軍である。
「スナイパーはもちろん、全ての機関、ガーディアン自体にも情報は回っていない。李聯総帥に直接会い、口頭でお伝えした」
「…でも、急いだほうがいいな」
視線を斜め下に落とし、方策に思いをめぐらせながら、一哉がそう言った。
常に意思堅固とした様子のパートナーを見つめていたグウェンダルだったが、ちいさく鼻を鳴らすと、「考えすぎじゃね?」と首を振った。
「ナイプが感づくってのか?大丈夫だろ。中央(セントラル)だって知らないんだ」
「レインなら気づく。あいつは勘がいい」
「ふぅん。エル総帥をよくご存知で」
グウェンダルの皮肉めいた一笑を無視して、一哉が言う。
「ターゲット…アルフレッド・シフは、生け捕りにはしない」
バルタザールが眉根を寄せた。
「トウマ。上部の命令では、アルフレッドは殺すなと…」
「関係ない」
確固たる口調でそう言い放ち、バルタザールを一瞥する。
「そっちの上と俺の上部じゃ決定権が違う。あんたの上官が俺に掛け合うようあんたを仲介させたのは、俺に命令を下すためじゃない」
藤間一哉。
まだ17歳の少年だが、彼の醸し出す強烈な威圧感(プレッシャー)は、屈強なバルタザールをただ頷かせてしまう。
「余計な口は出さなくていい。あんたがするのは情報を完璧に俺に渡すことと、従うことだ」
立ち上がった一哉が、暢気に魚をつついていたグウェンダルを睨んだ。
「グウェン」
「…。は〜い」
嘆息と共に食べかけの魚への未練を断ち切り、グウェンダルが立ち上がる。
虚礼すら見せず背中を向けた一哉とは対照的に、グウェンダルはバルタザールに流麗な敬礼をし、それから扉へと向かって行った。
レヴェリッジ王朝
1990年以降、諸国家に降りかかった全ての流血事件、災禍の少なくとも半数は、この不吉な運命を背負った一族に関わりがある。
(フェリップ・ガルドイス伯爵)
溜息。
いくら止めようとしても出てきてしまう嘆息に消沈を込めつつも、レインは中央政府の用意した送迎専用機のゲストエリアに設えられたソファの片隅に座り、窓の外を眺めていた。
高度6万フィートを超える上空では地球の水平線は曲がり、丸みを帯びて見える。
機体はマッハ2まで加速しているものの、オリハルコンの装甲で固められた機内に爆音や衝撃は一切伝わってこない。
あと30分もすれば着く。
中央政府――――セントラルに。
中央中立地帯(セントラル)は大西洋に浮かぶ新大陸のことで、泥沼化していた世界大戦を終結に導き、世界平和へのきっかけをつくったとされる「英雄」、シド・レヴェリッジを帝王(ダイナスト)とした、巨大権力の中枢だ。
各国政府を監視下に置き、帝王の下に各首脳国を仕切る11人の総帥が存在するとはいえ、実情は独裁体制と変わらない。世界最高の軍事力を誇る超大国、アメリカ合衆国でさえ、いまや彼らの傀儡となりつつある。
スナイパーのような一国を凌駕するほどの軍事組織となると、国ひとつと同じ待遇、監視を受ける。
こうして週に一度は専用機に乗せられ、中央まで強制的に連行されるのも、傍迷惑な干渉のひとつだった。
監視だらけで牢獄のような中央政府専用機の中は当然レインの気に染まず、窮屈で息が詰まり、悪心で咽そうにすらなる。
強すぎる力が徐々にレインの身体を、精神を蝕んでいっていることは事実で、そのことを誰よりレイン自身が恐れ、痛心している。
そんな彼を見守ることしかできない自分を歯痒く感じることはあったが、ブラッドは、彼がどう変わろうとも、何者になろうとも傍にいることを心に決めていた。
「ブラッド」
背中にぴったりとくっついたまま、レインが言う。
「コーヒー飲んだら…」
「わかってるよ」
最後まで言わせないのは、どうせレインが最後まで言わないことを知っているからだ。
コーヒー飲んだら、もう一回シたい。
そんなことを最後まで素直に言える性格じゃないのは、もう知ってる。
「美味いの淹れてやるから。待ってろ」
「……」
真実を知りたい。
近頃になって、レインは以前よりも強く庶幾するようになっていた。
こうして…ブラッドと一緒にいるために。
この身体さえ、自分自身さえ信じられないこんな状態では…。
いつ、自分という自我を失ってしまうのか。
そうなったときに、もしも、万が一にでも――――ブラッドを傷つけることがあったとしたら。
その惧(おそ)れはあの日、ソールズベリーで現実になってしまった。
――――こわいんだ。
俺には解ってる。
徐々に、何かが――――俺を。
「ほら」
ブラッドに手渡されたカップからは温かい湯気が立ち上り、濃いエスプレッソとミルクのいい香りが漂ってくる。
「ブラッド」
顔を上げて名前を呼ぶと、カップに口をつけようとしていたブラッドと視線が合った。
「ん?」
「……」
なにかを言おうと口を開き、しばらくブラッドを見つめていたレインだったが、小さく首を振ると目を逸らし、熱いカフェオレをすこしだけ口に含む。
「……。美味い」
「……。だろ」
ベッドに戻るまでの間、レインはブラッドと一度も視線を合わせなかった。
モスクワ、クツゾフスキー通り。
個人経営の小さなレストランの空席をぽつぽつと埋めている客は、みな裕福な身なりをしている。この界隈はいわゆる、ブルジョワ層の居住区だ。
目の前に並んだ新鮮な魚や野菜には一切手をつけず、自ら持参したミネラルウォーターを少しだけ喉に通すと、藤間一哉は、正面に座っている今回のパートナー、グウェンダル・クロードと、斜め向かいに座っている依頼代行人、バルタザールを、無頓着な面持ちで流し見た。
「まだナイプ(スナイパー)には情報、回ってねぇんだな」
流暢なロシア語。
スラブ語派からナ・デネ語族といった少数民族の言葉まで、あらゆる言語を習得している一哉は、発音も表現も、まるでそこに居住しているかのように完璧に使いこなす。
野菜を豪快に口の中に押し込んでから、バルタザールが頷いた。
四十代後半ぐらいの大男で、すこし恐い風貌のバルタザールは、ロシア連邦保安庁、FSBの将軍である。
「スナイパーはもちろん、全ての機関、ガーディアン自体にも情報は回っていない。李聯総帥に直接会い、口頭でお伝えした」
「…でも、急いだほうがいいな」
視線を斜め下に落とし、方策に思いをめぐらせながら、一哉がそう言った。
常に意思堅固とした様子のパートナーを見つめていたグウェンダルだったが、ちいさく鼻を鳴らすと、「考えすぎじゃね?」と首を振った。
「ナイプが感づくってのか?大丈夫だろ。中央(セントラル)だって知らないんだ」
「レインなら気づく。あいつは勘がいい」
「ふぅん。エル総帥をよくご存知で」
グウェンダルの皮肉めいた一笑を無視して、一哉が言う。
「ターゲット…アルフレッド・シフは、生け捕りにはしない」
バルタザールが眉根を寄せた。
「トウマ。上部の命令では、アルフレッドは殺すなと…」
「関係ない」
確固たる口調でそう言い放ち、バルタザールを一瞥する。
「そっちの上と俺の上部じゃ決定権が違う。あんたの上官が俺に掛け合うようあんたを仲介させたのは、俺に命令を下すためじゃない」
藤間一哉。
まだ17歳の少年だが、彼の醸し出す強烈な威圧感(プレッシャー)は、屈強なバルタザールをただ頷かせてしまう。
「余計な口は出さなくていい。あんたがするのは情報を完璧に俺に渡すことと、従うことだ」
立ち上がった一哉が、暢気に魚をつついていたグウェンダルを睨んだ。
「グウェン」
「…。は〜い」
嘆息と共に食べかけの魚への未練を断ち切り、グウェンダルが立ち上がる。
虚礼すら見せず背中を向けた一哉とは対照的に、グウェンダルはバルタザールに流麗な敬礼をし、それから扉へと向かって行った。
レヴェリッジ王朝
1990年以降、諸国家に降りかかった全ての流血事件、災禍の少なくとも半数は、この不吉な運命を背負った一族に関わりがある。
(フェリップ・ガルドイス伯爵)
溜息。
いくら止めようとしても出てきてしまう嘆息に消沈を込めつつも、レインは中央政府の用意した送迎専用機のゲストエリアに設えられたソファの片隅に座り、窓の外を眺めていた。
高度6万フィートを超える上空では地球の水平線は曲がり、丸みを帯びて見える。
機体はマッハ2まで加速しているものの、オリハルコンの装甲で固められた機内に爆音や衝撃は一切伝わってこない。
あと30分もすれば着く。
中央政府――――セントラルに。
中央中立地帯(セントラル)は大西洋に浮かぶ新大陸のことで、泥沼化していた世界大戦を終結に導き、世界平和へのきっかけをつくったとされる「英雄」、シド・レヴェリッジを帝王(ダイナスト)とした、巨大権力の中枢だ。
各国政府を監視下に置き、帝王の下に各首脳国を仕切る11人の総帥が存在するとはいえ、実情は独裁体制と変わらない。世界最高の軍事力を誇る超大国、アメリカ合衆国でさえ、いまや彼らの傀儡となりつつある。
スナイパーのような一国を凌駕するほどの軍事組織となると、国ひとつと同じ待遇、監視を受ける。
こうして週に一度は専用機に乗せられ、中央まで強制的に連行されるのも、傍迷惑な干渉のひとつだった。
監視だらけで牢獄のような中央政府専用機の中は当然レインの気に染まず、窮屈で息が詰まり、悪心で咽そうにすらなる。
BACK NEXT
Copyright LadyBacker All Rights Reserved./Designed by Rosenmonat