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SCENE SECTION

01.痛み / 02.潜入 / 03.ジャッジ / 04.焔魔 / 05.偽りの理由 / 06.遺恨 / 07.欠陥 / 08.恋人


「っ…!?」

刹那。
一哉の背中を衝撃が突き抜けた。

瞬時に後方へ右腕を振るものの、それは虚しく空を切る。
痛みは遅れてやってくる。が、肉体的な感覚は戦闘本能によって遮蔽(しゃへい)される。

イヴァの気配を掴むことだけに全神経を集中させた一哉は、咄嗟に身体を右へ傾けていた。

「ッ…!」

一撃。
頭上から振り落ちてきた衝撃が、一哉の左肩を掠めた。
僅かにでも回避が遅れていれば、頭蓋骨を粉砕されていただろう。

――――っ疾い…!

間一髪で逃れることができたのは直感だ。視えたわけではない。

イヴァの攻撃によって抉られた地面は裂け、轟音と共に硝煙が舞った。
埃臭い煙霧の中へ目を凝らす一哉を嘲笑うように、イヴァの気配は大気に溶ける。

猛攻のラストを致命傷となる一撃で飾るとすぐに気配を晦ませ、距離をはかり、また接近し連撃を繰り出す。
そうやってじわじわと相手を嬲るのは、イヴァの好む常套手段のひとつだ。

一度このパターンに嵌ってしまえば、逃れることは難しい。

イヴァの潜む位置は把握できないが、ここで冷静さを欠けば敗北は決まる。
死の緊張が張り詰めても一哉の気は乱れない。
どんなに不利な状況であろうと常に沈着を保つことができるのは、一哉の特性だった。

イヴァの速攻をやっとのところで躱す、或いは数発ダメージを負いながらも、一哉が攻撃に転じる様子はない。

肉を弾く音、骨にまで伝わる振動と痛み。
糸状のオリハルコンを織り込んだ防護服が破れ、一哉は眉根を寄せた。

イヴァの一撃は鉛よりも重い。
だが、彼の得意とする体術の要はそのスピードにある。

驚異的な柔軟性を活かした彼特有のスタイルは、暗殺のために練成された彼の身体能力を遺憾なく発揮できるよう、あらゆる武術や軍隊格闘術の流れを組み、完璧にアレンジされている。

ファタ・モルガナ仕込みの暗殺術。
血に飢え、腐肉を漁るようなデス・スクアッドでの生活が、彼の中のなにかを壊したのは事実だった。

それは麻薬に似ている。
一度覚えてしまったらやめられない。

冷徹な弱肉強食の地獄に落ちたと同時に、そこで生きることに承諾しサインしてしまった今となっては、殺戮の快楽を貪ることに些かの抵抗も、罪悪感も無かった。

一哉の回避パターンをチューリングマシンのように分析し、わざと急所を外した場所に狙いを定めると、上体を屈め一気に距離を詰める。

考えるより先に動いた身体は空を裂き、打撃の嵐を生む。

均等なリズムを刻み、荒々しく躍動するイヴァの動きを捌き切れず、攻撃を防いでいた右腕は弾かれ、右胸に衝撃が走った。

「ッ…ぐ」

体勢を崩された一哉は続けざまに乱撃を浴び、拳を食い込ませたまま壁に叩きつけられる。

「――――オマケだ、受け取れ」

獅子の咆哮にも似た唸りを上げ、イヴァの右足が空を薙いだ。

「ッ、――――!!ッ…」

横殴りに頭部を蹴られ、声にならない悲鳴が耳の奥で弾ける。
骨が砕けるほどの衝撃に倒れた一哉を横目に、イヴァは素気なく右足を下ろした。

硝煙の中に立つイヴァの表情は、快哉とは程遠い怪訝なものだ。
期待外れの反応。そう思っているのだろう。
「がっかりだ」とでも言うように肩を竦め、イヴァは足元に言葉を落とす。

「なンだよ…ひっどいな?能力の上に胡坐かいてるだけのガキならがっかりだぜ。オマエと同い年のクソ生意気な日本人はよ、オマエの数千倍は強いぜ。つかおまえ、ホントにレインと同系?」

「……」

レイン・エル。
その名の効力は一哉にとって絶大だった。
冷静な思考の奥に燻っていた火種は劫火に変わり、氷の壁を溶かし壊す。

一哉の内なる変化になど気付かないイヴァは、さらに言葉を乗せ挑発にかかる。

「天才と凡人の差か?レインが歯牙にもかけねぇわけだな…。ガーディアンのレベルの低さが知れるぜ、エース。いつまでも寝てねぇでさっさと立てよ、起こしてやろーか?なあ」

「――――……」

爆発的に放たれたフォースがうねり、生き物のように一哉を覆った。
自然系能力者(ニューヒューマン)特有の覇気は、それだけで相手を萎縮させ動きを鈍らせる。

だが、日常的にレインのフォースに触れているイヴァには通用しない。
それどころか、赤い髪を揺らす一哉の殺気にイヴァの血は沸き上がり、快感にも似た震えが心臓から全身へと駆け抜ける。

「ガタガタうるせぇよ…ニワトリ野郎」

ゆっくりと身体を起こした一哉が口内の血を吐き捨てた。
首に片手を当て頭を傾け、コキンと骨を鳴らす。

「どーしようもない格下ってやつは、外では威張りたがるもんだ。そんなにオウチでイジめられてんのか?…あの性悪がアタマじゃしょうがないか。同情するぜ」

言下に踏み込んだ一哉の周囲、四方の壁が歪み、地面が傾いた。

四方を囲んだコンクリートに賽(さい)の目状の模様が刻まれると、妙な浮遊感を覚え、イヴァは小さく眉根を寄せる。

一哉の放った蹴りは、イヴァの視覚に確かに捉えられていた――――はずだった。

余裕で躱したそれは頬を掠め、続いて避けたはずの拳は浅くだが腹に食い込んだ。
視覚と衝撃の誤差に困惑しつつも、イヴァは後方へ大きく跳ぶ。

――――なんだ!?
なんか、感覚が…

「っ…てめぇ、なにしやがった」

着地したはずの地面が揺らいだように感じ、イヴァは大きく態勢を崩すと、そのまま盛大に尻餅をついた。

「っ… !? 痛っっって !!」

「休憩か?トリ頭」

背後。
咄嗟に両手を地面につき、振り下ろされた拳を後方回転の要領で逃れたイヴァだが、一哉の姿を映した視界はぐにゃりと歪み、部屋全体がゆっくりと回転しているような錯覚に陥る。

――――げ。
……気持ち悪ぃ。

嘔気すら込み上げ、一哉から距離を離すと、イヴァはその場で片膝をついた。
立ち上がろうにも身体が動かないほどの重力を感じ、たまらずに首を振る。

「視覚と平衡感覚が少しでもズレれば、錯覚が起きる」

イヴァを正面に見据えたままゆっくりと歩み寄りながら、一哉が笑んだ。

昂然とした彼の口上など聞きたくも無いが、常時の感覚を失ってしまった身体はどう足掻いてみても言うことをきかず、鋭い三白眼でただ睨むだけの格好になってしまう。

「錯覚、だと?」
「アンタの両脇の壁は動いてて、地面には傾斜がある。そーいう理屈、理解できるか?」

声が届く程度の場所で一哉が足を止めると、イヴァを囲うようにコンクリートから刃が突き出し、一斉に彼へと狙いを定めた。



人間を含む多くの脊椎動物は、内耳にある三半規管とあらゆる視覚情報を組み合わせて平衡感覚を保っている。

三半規管内はリンパ液で満たされており、その流れを有毛細胞が感知すると、傾きといった感覚の情報が脳に伝達される。

しかし人間は、視覚情報と水平を奪われた状況下に置かれると、リンパ液の傾きや視覚的錯覚により感覚器官を失い、空間識失調を起こす。



僅かに傾斜した地面と賽(さい)の目状の動く壁によって、イヴァの視覚と三半規管による平衡感覚は狂わされ、混乱した脳は錯覚を起こし、正常な情報を伝達できなくなっていた。

灰色の刃さえも曲がって見え、生理的な汗が背中を伝い落ちる。
胸が悪くなるほどの眩暈は時間が経過するほど酷くなり、イヴァは苦笑交じりに肩を竦めた。

「理屈は知らねぇが…。メシは抜いてきて良かったぜ。吐くモンがハラに入ってねぇ」

この状況でもまだ軽口を叩き剽げてみせると、イヴァは居合い腰の体勢からゆっくりと身を起こし、おぼつかないながらも立ち上がる。

「串刺しにしてやる」

一哉の一声。
地響きと共に、地表から伸びた灰色の刃が次々とイヴァに襲い掛かる。
瞬時に瞳を綴じたイヴァは前方へ疾駆し、一気に一哉との距離を詰めた。

イヴァの放った打撃は灰色の壁に吸収され、それが破壊されたと同時に、壁の後ろに隠れていたコンクリートの刃が突き出してきた。

空気の振動で位置を感じ取り身を躱すも、後方から伸びてきた数十という無機質な刃の追撃を、視覚無しで捉えることはできない。

生体と違い、物体には気配が無い。
腹を据えて瞳を開けるものの、瞬時に視界は眩み、攻撃対象をまともに映し出すことすらできない。

っ…くそ。
これじゃ――――防げねぇ。

「――――じゃあな」

冷然とした一哉の声が、どこからか聞こえた。

「ッ…」

両腕を顔の前で交差させ、衝撃を覚悟した…刹那。
イヴァの身体を覆ったオレンジ色の光が巨大な壁と化し、津波の如く押し寄せてきた刃を粉砕した。


「――――っ………?」
「…!防壁(シールド)」


防壁が弾け、粒になり散らばったと同時に、変形した地面と壁は幻のように消え失せ、元の地下通路が姿を現した。

背後に殺気を感じ、咄嗟に能力を解除した一哉は、いつの間にかそこに佇立していた男を一瞥すると、小さく眉根を寄せる。

黒い軍服。生気を感じられないような白い肌。
紅龍の徽章――――

鷹揚と一哉の横を通り過ぎたシオウ・ランは、敵に背中を晒すのも構わず、そのまま真っ直ぐにイヴァに歩み寄る。

「……。シオウ」

その姿を目にしたイヴァは、反射的に彼の名を呼ぶ。

「……」

凝然とイヴァを見据えるシオウは、妙な威圧をその瞳に込め、押し黙っている。

そんな彼とこの事態にどう対応していいのか解らず、まだ眩暈の残る頭をフル稼働させてはみたものの、結局?マークしか浮かばなかったイヴァもまた、呆然とシオウを眺めていた。


「……」
「……」


見つめ合うこと、しばし。

不覚にも昨晩のことを想起してしまったイヴァが、急に頬を紅潮させた。

そんな自分の思考をかき消すように首を振り、両手をばたつかせる。
とりあえずこの場はシオウに食ってかかることで誤魔化そうという結論に至り、イヴァは喧嘩腰に声を荒げた。

「余計なんだよッ。てめぇの援護なんかいらねぇんだ。勝手なことしやがって!」
「……」
「助けたなんて思ってんじゃねぇだろーな、あ!? 頼んでね〜ッつーの!」
「……」
「なんとか言いやがれっ」


「……。藤間…一哉か」


一哉に顔を向けたシオウが静かに呟いた。
二人から距離を離し、考えるように視線を落としていた一哉も顔を上げ、応じる。

「あんたも幹部か。…すげぇな。ナイプの重要機密が2人も揃ってお出ましとは」

「……」

無言を返した後、シオウは突然イヴァの腕を掴むと、そのまま一哉に背中を向け、歩き出そうとする。

「っ…なんなんだよ、引っ張んなって…」
「戻るぞ。…もう用はない」
「あぁ!? 寝ぼけた事ヌかしてんなよシオウ。俺はあのガキとヤッてん最中なんだ!なんで…」


「JUDGE(ジャッジ)」


「――――!?」


シオウの言葉に足を止めたイヴァが眉根を寄せた。
不吉な言葉は数あれど、今の単語ほどそれを象徴するものはない。

Judge Of Red (赤の審判)。
それは幻とされる非公認組織の名称だが、御伽噺などではない。

「彼ら」は実在し、暗躍している。

「あいつらまで動いてんのか」
無言のままシオウが頷く。
「……。ち」

事態を把握したかのように見えたイヴァだったが、シオウに掴まれた腕を振り払うや否や後ろを振り返り、鋭い剣幕で怒鳴り立てる。

「おい、クソガキ !! 次会った時は続きだ。てめぇのが優位だったなんて思うんじゃねぇぞ !!」

失笑交じりにイヴァに視線を投げた一哉は、嘲りを込めて口を開く。

「優位だったろ…あきらかに」
「違うっ!!俺様はまだ…」


「――――黙れ」


めずらしく苛立ちを滲ませたシオウが、乱暴にイヴァの腕を引いた。

痛みが走るほど強く腕を握られ引き寄せられたイヴァが抗議の声を上げようと口を開いた、刹那。

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