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SCENE SECTION
01.痛み / 02.潜入 / 03.ジャッジ / 04.焔魔 / 05.偽りの理由 /
06.遺恨 / 07.欠陥 / 08.恋人
パチンと指を鳴らしたレインの背後に、再び焔龍が現れた。
「つまらなかった。――期待外れの罰だ…方驍氷」
冷然としたレインのハスキー・ヴォイスが淡々と驍氷に注がれるが、彼は未だ、肩を押さえ、蹲るようにしながら苦痛に悶えている。
「おまえに恐怖を教えてやる。…その身にしっかりと焼き付けろ」
主の声に猛った焔龍が、驍氷の身体に食らいついた。
「…スピリッツを使いすぎたな」
驍氷に歩み寄ったレインが、瀕死の彼を見下ろしながらそう言った。
「レア程度にするつもりだったんだが…また力加減を間違えたようだ……ミディアムだ」
「気にすることないよ。…俺もそうだった し」
レインの背後でそう言ったのは、本日の護衛、神代直樹だ。
「…直樹」
「正直、死にかけたけどね。…俺、能力者じゃないし」
返答に詰まったレインは困ったように視線を泳がせると、黒髪を乱し上げる。
「あの時は…おまえが思ったより強かったから、楽しくなって…つい」
そんなレインの反応に内心ほくそ笑みつつ、直樹はゆっくりとレインに歩み寄ると、すぐ隣に立って囁きかける。
「責めてるワケじゃないよ?…それに、さ。…レインのキスは最高だった」
「……」
「もう一回シてもいい?」
「……」
無言を肯定と受け取った直樹がレインの腕を掴もうと手を伸ばしたところで、突如レインは身を屈め、目標を失った直樹は虚しく宙を掴む。
とことん恋愛感情に疎いレインは、相変わらず、不満顔の直樹にも、彼の向ける思いにも無頓着な様子だ。
驍氷を抱き起こすとそのまま抱え上げ、すぐにその身体を直樹に差し出す。
「重い。持て」
「あ、ごめん。…って、レイン?こいつ持って帰る気?」
とりあえずは驍氷を受け取り肩に担ぐものの、直樹は腑に落ちない表情でレインを見遣る。
「こんなのどうすんだよ…。俺は要らないよ」
「………」
物憂げに虚空を見つめていたレインが、ふいに溜息をついた。
こういう時の彼がなにを憂いでいるのかを、幹部達は――直樹はよく弁えている。
己の能力と、それを使った時の高揚感、征服欲――快楽。
レインはそれに強い嫌悪を抱いている。
だけど、どうしても…その欲求に逆らうことができない。
驍氷はレインを「中毒(ジャンキー)」と言った。
……あれは本当だ。
麻薬中毒者と同じように、レインは戦闘の快楽から離れられない。
そんなレインを「豺狼(さいろう)」と呼んで蔑むヤツもいる。
レイン自身も…自分を醜悪な存在だと思い込んでる。
殺しの快楽。
それに溺れてしまうことが、レインは怖いんだ。
「一番近い支部へ。そこで救護班をつけさせて、軍機をベゼスタへ向かわせろ。――その腕。瑠璃なら再生できる」
歩き出したレインを追いながら、直樹が頷く。
「了解。んじゃ、とりあえずロシアから離れるんだね」
「……。直樹」
「ん?」
焼け落ちて変形した壁を眺めながら、レインが煙草を一本咥え抜いた。
唇に指を滑らせ、ぽつりと呟く。
「俺は行かない」
「…え?」
背を向けたままのレインは視線だけを直樹に向けるも、すぐに正面に向き直り、歩きながら言葉を続ける。
「そいつはおまえに任せる。俺は先にカリーニングラードに行く。シオウとイヴァがもう向かっているはずだ…おまえは後から、俺を追ってくれればいい」
「レイン?」
いつもより足早に進むレインに直樹が駆け寄った。
レインがこうして素っ気なくし、視線を合わせない時は、内心を知られたくない時だと直樹は知っている。
不器用な彼の対応は素直で、なんとも解りやすい…
見えない壁をどう崩すかを顧慮しつつ、直樹は帰り道のルートから、地上に出るまでの時間を概算し、彼を説得するまでそんなに猶予はないと思い至る。
一つ目の曲がり角。
あと三つ角を曲がったら出口だ。
「カリーニングラードには、先に中将と少将が行ってるんでしょ?…急がなくても大丈夫なんじゃない」
「万が一に備えてだ。…アルフレッドを逃したくないからな」
「……」
レインの隣に並び、暫くその横顔を見つめていた直樹が、ふぅと息を吐いた。
二つ目の曲がり角に差しかかったところで、意を決したように頷き、開口する。
「気になってたんだけどさ、ずっと」
依然として直樹を見ようとしないレインを見据え、静かながらはっきりとした口調で質す。
「レイン…どこで気づいたの?アルフレッドの裏切り」
「……」
「中央から出るとこで、FSBから連絡が入ってたけど…それって、前からアルフレッドを張ってたからだよね――何の為に?アルフレッドが裏切るって、どっかから情報が入ってた?あのREDSHEEPから、そんな情報が漏れてた?…それは有り得ないよね」
「……」
「ジャッジが動いたのは、今度の件にレインが絡んでくるって…中央が知ってたからじゃないの」
「……。どうだろうな」
「アルフレッドが裏切った動機はなんだったの。裏切る理由なんて、ホントは…」
「直樹」
レインが足を止めた。
ひとつ息をついてから、威圧的な態度で直樹を見咎める。
「……。何が言いたい」
やっと瞳を合わせてくれた彼に微笑んで見せながらも、直樹は真摯に胸襟を開く。
「信頼してほしいだけだ、レイン」
真っ直ぐに物怖じせず、精悍に向かってくる直樹の瞳には、レインに対する信頼と情愛が込められている。
しかしそれは、今のレインにとって目を背けたくなるものでしかない。
直樹から見えない位置でゆっくりと拳を握りながら、レインは静かに嘆息した。
信頼。
仲間というものがこんなにも重い枷になるということを知ったのは、SNIPERという組織をつくり、彼等と出逢ってからだ。
目的を達成する為に手段は選ばない。
ただ我武者羅に、目的の為に突き進むと決めて、アウェイである軍事の世界に踏み込んだ。
いざとなれば俺を殺してくれるくらいの人間を周囲に置こうと思った。
俺と対峙しても恐怖を匂わせず、命を懸けて向かってくるようなヤツだ。
俺の中にある闇が暴走し、全てを破壊してしまう前に…止めてくれる人間を。
――それなのに。
「俺はレインを護るためにここにいるんだ。…離れるわけにはいかない」
直樹の言葉に眉根を寄せ、そして失笑を漏らしたレインが、足元に落とした煙草を踏み潰した。
「――護る、か」
「レイン?」
「違うだろう。…おまえたちが俺についているのは…護るためなんかじゃない」
駄目だ、と、理性は警告する。
彼等を巻き込んだ 上に、剰え――こんな理不尽な苛立ちを直樹に向けるのは間違っている。
そうだと理解しているのに、言葉は止まらない。
まるで塞き止めていた水が溢れ出すように感情の波が押し寄せ、レインの心を乱していく。
「止めるためだ。俺が暴走して、タガが外れないように監視してる。そのための護衛だろう」
「……」
「知ってるはずだ。…見ただろう。あの映像 を。あの日の、ソールズベリーの…。俺だって解ってる。解ってるんだ。自分が、どんなに…」
「やめろよ、レイン」
力強くレインの下膊を掴んだ直樹は、困惑した紅い瞳を正視しながら、否定を込めてゆっくりと首を振った。
レインが他人に触れられることを嫌うのは重々承知している。
だが直樹は、そういう彼の性質が、彼の心に刻まれた傷による一種の「疾患」であろうことも感じ取っていた。
レインの心に刻み込まれた、多くの傷。
それが直樹には、ひどく愛しい。
巨大な闇に呑まれまいともがく彼を、何とか救ってやりたいと考えるようになったのは、いつからだっただろう?…そんな疑問が、ふと直樹の脳裏をよぎった。
「直…」
「レインはいつもそうやって、すぐに自分を追い詰める。…その癖、直せよ」
「……」
「俺は…皆はレインの全部に惚れてるんだ。どんなトコでも…「全部」だよ」
「……」
「言いたくないことがあるなら言及はしない。俺はいつだってレインの命令には従う。けど…」
腕を掴まれたことで反射的に身を硬くし、無意識に警戒を示しているレインへと身体を寄せ――直樹はそっと、レインにキスをした。
レインは紅い瞳を大きく開き、瞬かせ…ただ茫然と直樹を見つめ返す。
彼が拒絶の態度を示さなかったことに安堵する直樹だったが、レインを正視するその表情は、可愛らしい顔立ちに似合わぬ雄々しいものだ。
まだ子供だとばかり思っていた直樹が男であり、戦士であることを、今更ながらレインは感取させられ、いつもよりずっと大人びて見える直樹から、目を離すことが出来ずにいる。
「護りたい気持ちは本当だから。俺は絶対に、レインより強くなってみせる。…俺がレインを止めてやるよ。レインがそんなこと、二度と言わないように――もっと強くなる」
「……」
「信じてないだろ。ほんとだぜ。努力家なんだ、これでも」
「――どうして」
なにも言わないつもりだった。
口を噤んで、やりすごすつもりだったのに――レインが唇を噛む。
あまりにも真っ直ぐな直樹の言葉に、瞳に――問わずにはいられなくなる。
「どうしてお前達は俺を責めない…言及すればいい。疑えばいい。それが正解だ。俺を信頼するな。――俺は、いつ自我をなくすかも解らない。いつ、お前達を殺すかもしれないのに」
「……」
何も答えず、ただ沈黙を返す直樹に苛立ちを覚え、レインはついに最も言いたくなかったはずの言葉を吐露してしまう。
「ブラッドの傷を見ただろう!…あれは消えない。能力者でも消せない傷なんだ。…俺はあいつを傷つけた。この手で、俺は…! …あいつを殺そうとしたんだ…!」
ブラッドという最愛の人を手にかけようとした己の姿を、レインは見てしまった。
ソールズベリーの支部は破壊されてしまったため、現場での記録は一切残っていなかったが、SNIPERの監視衛星からの映像は残っていた。
あれが俺の「失われた記憶」だったとしたら。
あれが俺の、本性だったら。
あんな醜悪な姿を、よりにもよって、あいつに――
何より、この手であいつを…!
「なにもかも知ったように、綺麗ごとを並べるな。…そんなものは信じない」
「……レイン」
直樹の手を払いのけ、顔を背けようとするレインの肩を反射的に掴み…直樹はふと微苦笑した。
こんな時に、ちょっと嬉しいと感じる己がいるのが可笑しかった。
彼がこんな風に感情を表出したことはない。
初めて見た彼の一面と、それを見せた彼が。全部が愛しいと思う。
俺はやっぱり――この人を護りたいんだ。
理屈ではない強い想いが湧き上がるのを、直樹は確かに感じていた。
「レインのそーいうとこを、みんなは心配してる…そのための護衛だよ」
「……」
「賛同はしないよ、レイン…レインのそういう意見(とこ)には」
未だ視線を落とし、目を合わせようとしないレインが脅えているのだと気付いて、直樹は堪らずに――彼を強く引き寄せようとしたが――しかし小さく首を振ると、ゆっくりとその手を彼から離した。
ふと顔を上げ、直樹を見つめたレインへと…微笑む。
「だけど――護るよ。命を賭けて……そう決めたんだ」
「……」
レインの横を通り過ぎ、先へと歩き出した直樹が背中越しに言う。
「命令には従う。…信頼してるから。レインがそう言うなら、俺は支部に行く」
「……」
ゆっくりと歩き出したレインは、胸に鈍い痛みを感じながらも、黙然と直樹を正視していた。
信頼。
その言葉に真っ直ぐ向き合える自信が、今のレインにはなかった。
「追っかけるよ、ボス。…すぐに」
「……直樹。…俺は」
言いさしたところで、前方の直樹が足を止めた。
つられてレインも動きを止める。
レインには、振り返った直樹が微かに首を振ったように見えたが、薄暗い地下通路は視界が明瞭でなく、はっきりとは解らなかった。
「無茶すんなよ、レイン」
そう言って歩き出した直樹が、その後レインに言葉をかけることはなかった。
パチンと指を鳴らしたレインの背後に、再び焔龍が現れた。
「つまらなかった。――期待外れの罰だ…方驍氷」
冷然としたレインのハスキー・ヴォイスが淡々と驍氷に注がれるが、彼は未だ、肩を押さえ、蹲るようにしながら苦痛に悶えている。
「おまえに恐怖を教えてやる。…その身にしっかりと焼き付けろ」
主の声に猛った焔龍が、驍氷の身体に食らいついた。
「…スピリッツを使いすぎたな」
驍氷に歩み寄ったレインが、瀕死の彼を見下ろしながらそう言った。
「レア程度にするつもりだったんだが…また力加減を間違えたようだ……ミディアムだ」
「気にすることないよ。…
レインの背後でそう言ったのは、本日の護衛、神代直樹だ。
「…直樹」
「正直、死にかけたけどね。…俺、能力者じゃないし」
返答に詰まったレインは困ったように視線を泳がせると、黒髪を乱し上げる。
「あの時は…おまえが思ったより強かったから、楽しくなって…つい」
そんなレインの反応に内心ほくそ笑みつつ、直樹はゆっくりとレインに歩み寄ると、すぐ隣に立って囁きかける。
「責めてるワケじゃないよ?…それに、さ。…レインのキスは最高だった」
「……」
「もう一回シてもいい?」
「……」
無言を肯定と受け取った直樹がレインの腕を掴もうと手を伸ばしたところで、突如レインは身を屈め、目標を失った直樹は虚しく宙を掴む。
とことん恋愛感情に疎いレインは、相変わらず、不満顔の直樹にも、彼の向ける思いにも無頓着な様子だ。
驍氷を抱き起こすとそのまま抱え上げ、すぐにその身体を直樹に差し出す。
「重い。持て」
「あ、ごめん。…って、レイン?こいつ持って帰る気?」
とりあえずは驍氷を受け取り肩に担ぐものの、直樹は腑に落ちない表情でレインを見遣る。
「こんなのどうすんだよ…。俺は要らないよ」
「………」
物憂げに虚空を見つめていたレインが、ふいに溜息をついた。
こういう時の彼がなにを憂いでいるのかを、幹部達は――直樹はよく弁えている。
己の能力と、それを使った時の高揚感、征服欲――快楽。
レインはそれに強い嫌悪を抱いている。
だけど、どうしても…その欲求に逆らうことができない。
驍氷はレインを「中毒(ジャンキー)」と言った。
……あれは本当だ。
麻薬中毒者と同じように、レインは戦闘の快楽から離れられない。
そんなレインを「豺狼(さいろう)」と呼んで蔑むヤツもいる。
レイン自身も…自分を醜悪な存在だと思い込んでる。
殺しの快楽。
それに溺れてしまうことが、レインは怖いんだ。
「一番近い支部へ。そこで救護班をつけさせて、軍機をベゼスタへ向かわせろ。――その腕。瑠璃なら再生できる」
歩き出したレインを追いながら、直樹が頷く。
「了解。んじゃ、とりあえずロシアから離れるんだね」
「……。直樹」
「ん?」
焼け落ちて変形した壁を眺めながら、レインが煙草を一本咥え抜いた。
唇に指を滑らせ、ぽつりと呟く。
「俺は行かない」
「…え?」
背を向けたままのレインは視線だけを直樹に向けるも、すぐに正面に向き直り、歩きながら言葉を続ける。
「そいつはおまえに任せる。俺は先にカリーニングラードに行く。シオウとイヴァがもう向かっているはずだ…おまえは後から、俺を追ってくれればいい」
「レイン?」
いつもより足早に進むレインに直樹が駆け寄った。
レインがこうして素っ気なくし、視線を合わせない時は、内心を知られたくない時だと直樹は知っている。
不器用な彼の対応は素直で、なんとも解りやすい…
見えない壁をどう崩すかを顧慮しつつ、直樹は帰り道のルートから、地上に出るまでの時間を概算し、彼を説得するまでそんなに猶予はないと思い至る。
一つ目の曲がり角。
あと三つ角を曲がったら出口だ。
「カリーニングラードには、先に中将と少将が行ってるんでしょ?…急がなくても大丈夫なんじゃない」
「万が一に備えてだ。…アルフレッドを逃したくないからな」
「……」
レインの隣に並び、暫くその横顔を見つめていた直樹が、ふぅと息を吐いた。
二つ目の曲がり角に差しかかったところで、意を決したように頷き、開口する。
「気になってたんだけどさ、ずっと」
依然として直樹を見ようとしないレインを見据え、静かながらはっきりとした口調で質す。
「レイン…どこで気づいたの?アルフレッドの裏切り」
「……」
「中央から出るとこで、FSBから連絡が入ってたけど…それって、前からアルフレッドを張ってたからだよね――何の為に?アルフレッドが裏切るって、どっかから情報が入ってた?あのREDSHEEPから、そんな情報が漏れてた?…それは有り得ないよね」
「……」
「ジャッジが動いたのは、今度の件にレインが絡んでくるって…中央が知ってたからじゃないの」
「……。どうだろうな」
「アルフレッドが裏切った動機はなんだったの。裏切る理由なんて、ホントは…」
「直樹」
レインが足を止めた。
ひとつ息をついてから、威圧的な態度で直樹を見咎める。
「……。何が言いたい」
やっと瞳を合わせてくれた彼に微笑んで見せながらも、直樹は真摯に胸襟を開く。
「信頼してほしいだけだ、レイン」
真っ直ぐに物怖じせず、精悍に向かってくる直樹の瞳には、レインに対する信頼と情愛が込められている。
しかしそれは、今のレインにとって目を背けたくなるものでしかない。
直樹から見えない位置でゆっくりと拳を握りながら、レインは静かに嘆息した。
信頼。
仲間というものがこんなにも重い枷になるということを知ったのは、SNIPERという組織をつくり、彼等と出逢ってからだ。
目的を達成する為に手段は選ばない。
ただ我武者羅に、目的の為に突き進むと決めて、アウェイである軍事の世界に踏み込んだ。
いざとなれば俺を殺してくれるくらいの人間を周囲に置こうと思った。
俺と対峙しても恐怖を匂わせず、命を懸けて向かってくるようなヤツだ。
俺の中にある闇が暴走し、全てを破壊してしまう前に…止めてくれる人間を。
――それなのに。
「俺はレインを護るためにここにいるんだ。…離れるわけにはいかない」
直樹の言葉に眉根を寄せ、そして失笑を漏らしたレインが、足元に落とした煙草を踏み潰した。
「――護る、か」
「レイン?」
「違うだろう。…おまえたちが俺についているのは…護るためなんかじゃない」
駄目だ、と、理性は警告する。
彼等を
そうだと理解しているのに、言葉は止まらない。
まるで塞き止めていた水が溢れ出すように感情の波が押し寄せ、レインの心を乱していく。
「止めるためだ。俺が暴走して、タガが外れないように監視してる。そのための護衛だろう」
「……」
「知ってるはずだ。…見ただろう。
「やめろよ、レイン」
力強くレインの下膊を掴んだ直樹は、困惑した紅い瞳を正視しながら、否定を込めてゆっくりと首を振った。
レインが他人に触れられることを嫌うのは重々承知している。
だが直樹は、そういう彼の性質が、彼の心に刻まれた傷による一種の「疾患」であろうことも感じ取っていた。
レインの心に刻み込まれた、多くの傷。
それが直樹には、ひどく愛しい。
巨大な闇に呑まれまいともがく彼を、何とか救ってやりたいと考えるようになったのは、いつからだっただろう?…そんな疑問が、ふと直樹の脳裏をよぎった。
「直…」
「レインはいつもそうやって、すぐに自分を追い詰める。…その癖、直せよ」
「……」
「俺は…皆はレインの全部に惚れてるんだ。どんなトコでも…「全部」だよ」
「……」
「言いたくないことがあるなら言及はしない。俺はいつだってレインの命令には従う。けど…」
腕を掴まれたことで反射的に身を硬くし、無意識に警戒を示しているレインへと身体を寄せ――直樹はそっと、レインにキスをした。
レインは紅い瞳を大きく開き、瞬かせ…ただ茫然と直樹を見つめ返す。
彼が拒絶の態度を示さなかったことに安堵する直樹だったが、レインを正視するその表情は、可愛らしい顔立ちに似合わぬ雄々しいものだ。
まだ子供だとばかり思っていた直樹が男であり、戦士であることを、今更ながらレインは感取させられ、いつもよりずっと大人びて見える直樹から、目を離すことが出来ずにいる。
「護りたい気持ちは本当だから。俺は絶対に、レインより強くなってみせる。…俺がレインを止めてやるよ。レインがそんなこと、二度と言わないように――もっと強くなる」
「……」
「信じてないだろ。ほんとだぜ。努力家なんだ、これでも」
「――どうして」
なにも言わないつもりだった。
口を噤んで、やりすごすつもりだったのに――レインが唇を噛む。
あまりにも真っ直ぐな直樹の言葉に、瞳に――問わずにはいられなくなる。
「どうしてお前達は俺を責めない…言及すればいい。疑えばいい。それが正解だ。俺を信頼するな。――俺は、いつ自我をなくすかも解らない。いつ、お前達を殺すかもしれないのに」
「……」
何も答えず、ただ沈黙を返す直樹に苛立ちを覚え、レインはついに最も言いたくなかったはずの言葉を吐露してしまう。
「ブラッドの傷を見ただろう!…あれは消えない。能力者でも消せない傷なんだ。…俺はあいつを傷つけた。この手で、俺は…! …あいつを殺そうとしたんだ…!」
ブラッドという最愛の人を手にかけようとした己の姿を、レインは見てしまった。
ソールズベリーの支部は破壊されてしまったため、現場での記録は一切残っていなかったが、SNIPERの監視衛星からの映像は残っていた。
あれが俺の「失われた記憶」だったとしたら。
あれが俺の、本性だったら。
あんな醜悪な姿を、よりにもよって、あいつに――
何より、この手であいつを…!
「なにもかも知ったように、綺麗ごとを並べるな。…そんなものは信じない」
「……レイン」
直樹の手を払いのけ、顔を背けようとするレインの肩を反射的に掴み…直樹はふと微苦笑した。
こんな時に、ちょっと嬉しいと感じる己がいるのが可笑しかった。
彼がこんな風に感情を表出したことはない。
初めて見た彼の一面と、それを見せた彼が。全部が愛しいと思う。
俺はやっぱり――この人を護りたいんだ。
理屈ではない強い想いが湧き上がるのを、直樹は確かに感じていた。
「レインのそーいうとこを、みんなは心配してる…そのための護衛だよ」
「……」
「賛同はしないよ、レイン…レインのそういう意見(とこ)には」
未だ視線を落とし、目を合わせようとしないレインが脅えているのだと気付いて、直樹は堪らずに――彼を強く引き寄せようとしたが――しかし小さく首を振ると、ゆっくりとその手を彼から離した。
ふと顔を上げ、直樹を見つめたレインへと…微笑む。
「だけど――護るよ。命を賭けて……そう決めたんだ」
「……」
レインの横を通り過ぎ、先へと歩き出した直樹が背中越しに言う。
「命令には従う。…信頼してるから。レインがそう言うなら、俺は支部に行く」
「……」
ゆっくりと歩き出したレインは、胸に鈍い痛みを感じながらも、黙然と直樹を正視していた。
信頼。
その言葉に真っ直ぐ向き合える自信が、今のレインにはなかった。
「追っかけるよ、ボス。…すぐに」
「……直樹。…俺は」
言いさしたところで、前方の直樹が足を止めた。
つられてレインも動きを止める。
レインには、振り返った直樹が微かに首を振ったように見えたが、薄暗い地下通路は視界が明瞭でなく、はっきりとは解らなかった。
「無茶すんなよ、レイン」
そう言って歩き出した直樹が、その後レインに言葉をかけることはなかった。
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