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SCENE SECTION

01.痛み / 02.潜入 / 03.ジャッジ / 04.焔魔 / 05.偽りの理由 / 06.遺恨 / 07.欠陥 / 08.恋人






わたしはあなたの意見に同意しない。
しかし、あなたが自由に意見を述べられるように
――命を賭けて護る

――――ボルテール






アムシェル・ビギンズから受け取ったペーパー・フィルムはレインがすぐに解読を済ませ、情報はベゼスタ本部に送られた。

本部で情報管理をしている幹部中佐、ジャック・リオラは、レイン専属護衛(ガードナー)の1人だが、彼が本部内中枢にある情報管理室を離れることは殆どない。

管理室内部、400平方ヤードほどの広い室内は最先端の情報機器で埋め尽くされ、ずっしりと感じるほどの強い電磁波で満ちている。

光に弱い機器が多い為、照明は消されているが、壁や天井、機材などに取り付けられたおびただしい数のモニタから放たれる青白い微光が辺りを照らし、さながら水の中にいるかのような情調だ。

体中にコードをつなぎ、電子頭脳とほぼ一体化しているジャックの姿は、第三者視点にはなんとも異様だったが、独自の発想とアプローチで電脳空間を自在に行き来する彼の情報処理能力は極めて秀逸で、一秒単位で更新される膨大な情報の波を整理し、取捨して、リアルタイムで現場に流している。

レインから受け取ったデータを元に必要な情報をまとめ、幹部たちが瞳に装着しているコンタクト型情報ツール、M.e(マイクロ・アイ)へ情報を配信していたジャックの元に、幹部からのアクセスが入った。

Kanama Iva (カナマ・イヴァ)。
ジャックの眼前に、緑色の発光文字が現れる。

彼のいる場所を衛星が探知し、受信された映像が上部モニタに表示される。

ロシア・モスクワ。
回線がつながり彼の顔が映し出された途端、急き立てるようなイタリア語が大音声で室内に響いた。

「アルフレッド・シフとかいうオッサンを連れまわしてるヤツの居場所、さっさと教えろ。JUDGEもGADも動いてンだ。早くしねぇと先越されちまうぜ」

居場所は現在調査中、と送信したのが3分ほど前だったに関わらず、もう判明しているのが当然とばかりに言い放つイヴァの態度は非常に高圧的だったが、チョコレート・パーの包みを破きながら片手でキーボードを打つジャックの表情は穏やかだ。

カカオの香りを口の中に感じながら、子供のように両足をばたつかせ、上方モニタに映るイヴァに語りかける。

「んとね〜…。アルフレッド・シフを連れまわしてんのはぁ、GANZのボス。「キマイラ」ってコードネームなんだけど、経歴、素性は不明。んで…キマイラの現在地はね〜…う〜ん…、たぶんここ!! っかな〜」

イヴァの眼前に映し出されたホログラム。

机上モニタに片肘をつき、チョコレート・バーをかじりながらキーボードをつついている緊張感のないジャックの姿を目にしたイヴァは眉を顰め、ややオーバーな素振りで溜息を吐く。

出会った当初は、彼のマイペースな言動、はっきりしない態度、子供っぽい仕草にいちいち苛立っていたイヴァだったが、任務を経ていくうちに信頼できる相手であることは解ったし、物言いが曖昧なだけで情報自体は的確であることも解った。

M.eに届いたファイルには仔細な情報が詰め込まれているが、それは簡潔にまとめられており、目にした瞬間に要点を理解することが出来る。

ジャックは、ほんの数分間で必要な要素を収集し、脳内にプールした膨大な知識を活かした予測を加え、相手に素早く情報を理解させる為に要点をまとめ、信憑性の高い証拠と共に最も確率の高い答えを提示する事が出来る、非常に優秀なインフォーマーだ。

広漠とした電脳の海を、彼は天性の勘と記憶力で泳ぎ、奇抜ともいえる突飛な方法で金城湯池のセキュリティに防護された宝箱の鍵を開け、輝く秘密を手にしてしまう。

そんな彼の致命的な欠陥と言えば――。チームプレイに向かない事だろう。

彼は自分の世界を大切にするところがあり、非現実的な――例えば、アニメーションのような――イマジネーションの世界に浸り、時間を費やす事を好む傾向がある。

ミルクたっぷりの温かいコーヒーを口に含み、ふかふかのファーが敷かれた椅子に凭れかかると、ジャックは手元に置いてあったIPodを掴み、ヘッドホンに爆音を響かせた。

送られてきた情報を確認していたイヴァは、ホログラムから流れてきたアニメソングの微音に顔を上げると、既に己の世界に入り込んでしまっているジャックを目視し、「やれやれ」とでも言うように首を振った。

とことんマイペース。
現場の緊張感を全く汲み取らない彼の奔放な振る舞いには、毎度脱力させられる。

「ガーディアンのトウマカズヤ。キマイラの居場所に、あいつももう勘付いてんのか」

イヴァが質すと、天パの髪をかき上げながらジャックが応じる。

「あー。ガーディアンには、シド統帥から直令が下りてるみたいだね〜」

立体映像ごしに、なんの機器も介さず双方の音が届くのは、ジャックが「遠隔精神(コネクト)」の能力者だからだ。
携帯電話や通信端末などを通さなくても、彼はいつでも幹部たちと意志の疎通を図ることができる。

それがたとえ、日本のアニメソングが爆音で流れる中であっても、だ。


「まだ気づいてないよ〜。ガーディアンのエージェントは、カリーニングラードに入ってない」
JUDGEは」
「動いてる動いてる。1人ずつなにらないようにって、レインが言ってた。2人なら少なくとも、殺されないっしょ」

「……。をい」

ジャックは悪びれなく放っただろう一言だったが、それが言い得ているだけに…チクリとくる。

赤の審判――JUDGE OF RED
あいつらは強い。
特に、第3席以上の「ペア」は…ケタ違いだ。

レインの指示、判断は正しい。そこに不満はなかった。
腹立たしいのは、JUDGEとの交戦に幹部だけでは心許ないと、彼に思わせてしまう己の不甲斐なさだ…イヴァが小さく舌打ちした。


「それじゃ頑張ってね。シオたんと仲良く!」
「シ…。なに!?」

通信が途切れたと同時に、立体映像が弾け、四散する。

最後に言い放たれた不吉な愛称が不気味に耳に残ったものの、とりあえずは気持ちを切り替え、イヴァは次の目的地へのルートを確認する。

M.eに表示された地図上にある赤い点を拡大すると、バルト海に通じる飛び地、カリーニングラードが映し出された。

脱力し、項垂れたイヴァがぽつりと呟く。
「……マジかよ」

カリーニングラードはロシア領だが、本土から離れている為、陸路での移動は第三国を通過する事になり、本来ならば二次以上のピザが必要となる。
しかし、極度に軍事化されたカリーニングラードの人口の多くは軍事関係者で、街に支部を持つ軍に所属する者に関しては、その義務を免除される事が多い。

SNIPERにしてもそれは同じだったが、同時に、この地には厄介な規約も課せられている。

ある程度までの距離であれば瞬時に人を移転させることができる、同時空間短距離移動装置……いわゆる転送装置の禁止だ。

かつては州全体が外国人の立ち入りが規制される閉鎖都市だったカリーニングラードは地政学的には重要な位置にあり、東ヨーロッパの中心に位置する為、犯罪組織や麻薬組織、マフィアの取引中継地として治安が悪化し、更には冷戦崩壊後にソ連から独立したリトアニアの国境によって本土から隔てられ、一時期は市民の殆どが貧困に窮した。

その後は経済復興によって少しずつ立ち直りつつあるが、ロシアと多くの政治的問題を抱えるEU諸国との経済関係を州政府は切望しており、そしてその州政府と市民の「ロシア離れ」の背景には確かに、中央政府の影がある。

ロシア政府は断固として、中央政府…REDSHEEPの侵入を拒絶している。

だが、表面上は平和的関係を保つ手段として、中央に与する組織の中から一機関のみに、カリーニングラード内に支部を置く事を許諾している。

それが、ロシアと水面下で「反中央派」として結託している軍事組織――SNIPERだ。

しかし、協力関係にあるとはいえ、「転送装置禁止」の規約までもが免除されているわけではない。

通常なら支部間を転送装置で一気に移動できるが、ここばかりはそうもいかない…イヴァは赤毛を掻き乱すと、苛立ちを込めて嘆息を吐いた。

「カリーニングラードかよ。…時差どんくらいだっけ?」

強い風が吹き抜け、思い出したように身震いすると、イヴァは軍服の襟元を寄せた。
宵の口に差し掛かかろうとしている空には明星がうっすらと浮かんでいる。
日の射す日中と比べ、気温がだいぶ下がったようだ。

薄暗い空を仰ぐイヴァの肩に、ふわりとコートが掛けられた。
イヴァがその出来事を理解するよりも前に、すぐ頭上からシオウの低音が落ちてくる。

「マイナス1時間だ。空から行けば1時間で着くが…次の便までは5時間ある。最短のウラジーミル支部まで行ってナイプの地下鉄を使っても3時間。…かかりすぎるな」

シオウの言葉は何一つとしてイヴァの脳に吸収されないまま、白々しく耳を通過していく。

――――な。
なにすんだ、こいつ…。

まるで恋人同士のようにシオウにコートをかけられた、このシチュエーションの気持ち悪さにただ硬直し、動揺と不可解な羞恥とが入り混じった気持で、茫然と彼を熟視する。

暫時見つめ合う中で、イヴァは「この沈黙こそが危険だ」という直感に突き動かされ、とりあえず口を開いた。

「… Sei scemo!? …Quale intenzione hai?」
(…っ。…い…要らねぇよ…。キモチ悪ぃこと、すんな)

つい口から出たイタリア語には、彼の狼狽がしっかりと表れている。
瞳を逸らすと同時に背中を向け、コートをつかんだ手だけを後ろに突き出し、なんとも不器用に返却を試みる。

正直なところ、どう反応するのが正解なのかがイヴァには解らない。
シオウが親切な男とは到底思えないし、男同士でこの対応はないだろう――そう思い至って、ふと一つの結論に達する。

そうだ。
この野郎…バカにしてるに決まってる。
こいつが俺に気を遣うなんて、絶っってーあり得ねぇ。

コートを鷲掴んでいるイヴァの手を静かに見つめていたシオウは、片時の沈黙を挟み…ゆっくりと口を開いた。

「この時期に、そんな薄着で歩いてる奴はいない。…また捨ててきたのか」

「 ! …かっ、…関係ねぇだろ」

どういうわけなのか、イヴァはあちこちに上着を脱ぎ捨ててくる癖がある。
出て行くときには羽織っていくものの、帰ってきたときには着ていないことが多い。

他人には全く興味を示さないはずのシオウに己の習性を知られていた事にも驚かされ、イヴァの脳内はいよいよパニックに陥ってしまう。

な、なんなんだコイツ。
なんだ、俺を油断させて、暗殺でもしようってのか!?

以前何気なく耳にしたレインの言葉が、ふと脳裏に去来した。

「ロシアンマフィアは――ターゲットを油断させて殺す為に、花を送るそうだ」


「着てろ」
「いらねぇっつってんだよ ! 」


危機感に苛まれたイヴァは勢いよく首をめぐらせ、身体ごとシオウに向き直った。
コートを鼻先に突き返――――そうとして、瞳が合う。


――――ち。
近…。


「…。顔」
「あぁ!?」
「赤いぞ。…どうした」
「っ…!!、あ、赤くねぇよっ!!」

「……。ついて来い」

素気無くコートを掴んだシオウが歩き出した。
彼が背中を向けたことに安堵しつつ、すこし長めの距離を保ちながら、イヴァも後に従う。


プーシキン広場からトゥヴェルスカヤ通りに出ると、はるかサンクト・ペテルブルグにまでつながる繁華街は仕事帰りのサラリーマンや家族連れのモスクヴィチで賑わっていた。

モスクワで最も有名な日本料理店「ギンノタキ」に列をなす人々を横目にしながら、イヴァは空腹にうなる下腹部に手を当て、そっと溜息をついた。

そんなイヴァの仕草を背中ごしに見遣ったシオウが足を止め、訝しげに立ち止まったイヴァへと身体を向ける。

「Пойдем перекусим.…пойдем Камергерским переулок. (軽く食べるか。…カメルゲルスキーに行くぞ)」

「…。は?」

意味不明な音を発したシオウに、イヴァが眉根を寄せる。
「なんだって?」

呆れたように、シオウが首を振った。

「なにか腹に入れろ。カメルゲルスキー…この辺りで一番大きい飲食街がそこの通りにある」
「食ってる暇なんかあんのかよ」
「…。ロシア語。全然理解してないのか」
「おう。それがなんだってんだ」

顔を見合わせ、沈黙すること…しばし。

無表情の鉄仮面、とばかり思っていたシオウの顔に明らかな「不満の鬱積」を感じ取ったイヴァは、本能的に身の危険を感じ、一歩後退する。

お前は朝からなにも食べてない

そう言って歩き出した彼の背中から放たれる威圧のオーラに、イヴァはげんなりと肩を落としていた。

元々は屈強なマフィアを束ねていた「Dux(ドゥクス)」だけあって、シオウには相手に有無を言わせないような、高圧的なところがある。

それは、イヴァの良く知る「彼」の放つ、冷淡な空気と酷似していた。

懐かしいのと同時に、心の奥底に刻みつけられた傷に直接触れられるようで――それ故にイヴァは、シオウを嫌煙してさえいる。

「La "drag" non e necessaria.(動けないヤツは要らん)」

ちらりとイヴァへ一瞥を投げ、今度はイタリア語でそう言い放ってくる。
シオウの背中を睨んだイヴァは思いっきり舌を出し、唇を尖らせた。

馬鹿にしやがって。
マジで大ッッ嫌いだ。こいつ。

「安心しろ。カメルゲルスキーなら、英語が通じる店もある。…到着早々、どうせモスクワの飲食店で言葉が通じなくて、喧嘩にでもなったんだろう」

めずらしく饒舌なシオウの、さも一部始終を見ていたかのような言葉に目を丸くしたイヴァは、素直にも声を漏らしてしまう。

「なっ…なんで知って…」

振り返り、足を止めたシオウが…冷めた表情でぽつりと言った。

「…バカ」

「て、てめ……」

殴ってやりたい衝動に駆られ、イヴァはファイティングポーズを決め込むものの、意地悪く口角を上げたシオウは邪険に背を向け、相手にするのも馬鹿馬鹿しい、とでも言うように歩き出す。

ドS気質なその表情にイヴァはしばし目を奪われ、それからハッとしたように肩を震わせると、激しく首を振った。

―――…くそ。
落ち着かねぇ…。

なんでなんだ。こんなムカつく野郎に…ッ
なんでずっと緊張してんだ、俺。

「時間ねぇだろ。…メシ、いいよ」

不貞腐れつつも、イヴァは自己管理を疎かにして任務に支障をきたしてしまったことには負い目を感じていた。

精一杯の譲歩を示すイヴァを顧みたシオウは、再び前へ向き直り、少し間を挟んでから後方に視線を遣る。

「モスクワ国内軍管区に知り合いがいる」

シオウが足を止めた。
驚いたように遅れて足を止めたイヴァにゆっくりと身体を向け、抑揚のないバリトンで淡々と言葉を続ける。

「ロシア軍機で向かえば、俺たちの動向を他機関に気づかれずに済む。カリーニングラードは飛び地だ…軍機の移動は多い」

元々はロシア政府づきのマフィアだったシオウにとって、この地はホームだ。
政府高官から下流のチンピラまで幅広く顔がきくために、SNIPERではロシア全土を彼の管轄地としている。

「軍機なら1時間かからない。食べるのだけは早いだろう」

余計な一言にカチンときたイヴァが、その勢いのままに、間髪入れずにシオウに喰ってかかる。

「なんなんだよさっきから。なんでそう、いちいちムカつく言い方…」

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