――――思考過多(アタマでっかち)な彼等の関係。
Lastruggle番外編
月のない空を見上げるのは、今日で何回目だろう。
剥き出しの配管が蛇のように入り組んだ漆黒の空で、星の代わりに輝くのは赤や黄色の電子パネルだ。
R-Fortress(フォートレス・アール)の中心部、ヴェンディッタの仲間達の間では「Tsih(ツィー)」と呼ばれるセンタービルの上で、トアは黙然と上空(そら)を眺めていた。
午前2時、寝静まった街を彼が歩くのは、単に習慣だからではない――胸元に手を当て、静かに目を閉じる。
――夜は嫌いだ。
――眠りたくない。
彼が男娼という職を選んだのも、夜という暗い沈黙を誤魔化す為だった。
スラムのネオンの中で、沢山の人の中で、誰かの腕の中で眠れれば、それでいい。
「……」
冷たいコンクリートの上に腰を下ろし、膝を抱えて蹲っていたトアの背後から、一人の少年が近づいて来た。
「こんなとこで寝る気か? …カゼひくぞ」
少年の声に、トアは反応しない。
彼に無関心だからではなく、彼が来るだろうと知っていたからだ――いや、むしろ、今日は来るのが遅かった…そう思い、トアは少し不機嫌にさえなっていた。
特に約束を交わした訳でもないし、今日、この時間にここに来ると、彼に告げた訳でもない。
それでも、彼は絶対に自分を見つけてくれる…そんな傲慢な思考を赦してくれるのは彼しかいないということを、トアはよく心得ていた。
「……。…誰と飲んでた、ジーマ」
近づいて来た彼、ジーマから、ラムの微香を嗅ぎ取ったトアは、より一層不愉快な気分になり、ぶっきらぼうに質す。
そんなトアの心境を察したジーマは、困ったように頬を掻き、トアから少し離れた場所で立ち止まると、静かな口調で応じる。
「ヴァンだ。飲んでたってより…あいつと女がイチャイチャしてんのを傍観してただけだけどな」
「……。ふぅん」
「お前を誘いに行ったんだけど、居なかったからさ。カレルヴォに聞いたら、Caph(カフ)で歌ってるって言ってたから。…邪魔したくなかった」
「……」
「今日はやたらTsih(ツィー)に人が少ないと思ったら、皆、お前の歌を聞きに行っちまってたんだな」
「……」
R-Fortressは幾つかの区域に分かれているが、ヴェンディッタのメンバー達はそれを5つの大まかな地区に分け、それぞれに名称をつけている。
5つの地区にはそれぞれ中心となる大きなビルがあり、それらを繋げるとWの形になることから、カシオペヤに例え、Schedar(シェダル)、 Caph(カフ)、 Tsih(ツィー)、Ruchbah(ルクバー)、Achild(アキルド)と呼称している。
CaphはR-Fortressの南に位置し、バーや劇場のような施設が建つ歓楽街で、ヴェンディッタの仲間達が夜な夜な集う盛り場になっている。
TsihはWの中点にあたる場所であり、ヴェンディッタのテロ活動の拠点となる施設や軍事的要素を持つ建物が多く、昼間は沢山の仲間達で賑わうが、現時刻のような深夜には、見張り以外の人間は殆ど見かけない。
トアは立てた膝の下でそっと拳を握り、徐に呟いた。
「こんな地下で歌ったって…何の意味もない」
少しだけ首をめぐらせ、背後に立つジーマを眇め見る。
それを合図に歩み寄ってきたジーマがトアの隣に座り、暫くの沈黙の後、トアは首を傾け、ジーマの肩にポスンと頭を乗せた。
その一連の流れは、互いにとってごく自然なものであり、互いの性格を熟知した関係である事を実感できる、妙にくすぐったい瞬間でもあった。
「……。まだ、駄目か」
ジーマがそう言った。
トアは閉じていたバイオレットの瞳を薄く開き、小さく頷く。
トアの髪に触れ、指先で優しく梳くようにしながら、ジーマは口辺に笑みを浮かべる。
「ま、夜行性なのは俺も一緒だからよ。無理して眠る事もないと思うぜ。仕事(ヴェンディッタ)で動くのも、大概夜だしな」
「……」
トアは不意に顔を上げると、ジーマから身体を離して立ち上がった。
胸辺りまで高さがあるファイバーグレーチング製のフェンスに手をかけ、無機質な街並みを見下ろす彼の表情は、ジーマからは見えない。
二人を照らすのは所々に設置された外灯と、回転式の架台に取り付けられた探照灯(サーチライト)だけで、少し離れると、相手の姿は暗闇に紛れてしまう。
「……。明日はスラムに行く」
トアはごく小さな声でそう言い、ジーマに向き直る。
「俺、売れっ子だからさ。…数日シゴト行かねぇと、店に苦情が殺到しちまうらしい」
ゆっくりと回ってきた探照灯がトアを照らした。
不敵な彼の表情を見留め、ジーマは肩を竦めながら苦笑する。
「よっぽどすげぇんだろうな、お前のカラダは」
「当然だろ。女よりずっとシまる」
「…。そりゃタマんねぇな」
探照灯が通り過ぎた一帯は再び夜陰に包まれ、視界が不明瞭になる。
夜目がきくトアはジーマの姿をしっかりと捉えていたが、元々視力の悪いジーマは、トアの気配をその場所に感じる程度だ。
つつ闇の中に、いつもより艶っぽいトアの声が響く。
「試してみるか?」
トアがいるであろう場所を見据え、暫く閉口していたジーマは、額を掻き、バリアートの入った髪を撫でてから、ふと口角を上げ、首を振った。
トアは腕を組み、そんな彼の様子をじっと見つめている。
「いや。…いい」
ジーマはそう言い、立ち上がる。
腰まで落としたクラッシュデニムのポケットに片手を突っ込み、髪を乱し上げると、トアの方へ視線を向ける。
「仕事熱心なのはいいけどよ。…なぁ、トア。ヴァンに限って誘えねぇのは…自信がねぇからか? …違うだろ? ――そういうコトだ。…俺も、お前と似た性格(タチ)なんだよ」
「……え?」
「どんだけチ●コが勃ってようと、お前とはシねぇって言ってんの」
「……」
眉を顰めたトアはジーマに背を向け、フェンスに凭れかかると、如何にも不愉快そうに言い捨てる。
「帰れよ。…ガキはクソして寝ろ」
「俺の記憶が正しけりゃ、たぶん俺達同い年じゃね?」
「……。帰れ」
少しの間トアの背中を眺めてから、ジーマは片手を上げ、扉から出て行った。
彼が去った後、扉を睨んだトアはフンと鼻を鳴らし、さっき座っていた辺りにまた腰を下ろすと、膝を抱えて蹲る。
深沈とふけていく夜をやり過ごすのは、トアにとって容易なことではなかった。
凄惨な過去の映像を頭から消そうと歯噛んでも、心にしっかりと残った傷痕がズキズキと痛み、内から湧き上がる噴怨と愁嘆に、胸が喰い破られそうになる。
――誰かに、傍にいてほしい。
本当はそう思っている。
だが、それは過去に対する逃避でしかないと、トアは考えていた。
無念の中で凌辱され、惨殺された家族の事を思うと、自分だけが誰かの温もりに身を任せる事が、ひどく卑しい事に思えた。
――それでも、逃げてる。
せめて、知らない男の腕にでも抱かれていたい。
スラムで身を売り、痛みから逃げている自分をトアは許せなかったが、そうでもしなくては気が狂いそうだった。
「……」
静寂に押し潰されそうになりながら、トアは石のように身を硬くしていた。
何十分経ったんだろう…否、もしかしたら、まだ数分かもしれない。
世界中でたった一人だけになってしまったような極端な寂寥感に苛まれ、ギュツと目を閉じ、歯を食いしばっていたトアの頬に、ピタリと温かいものが当てられた。
トアの背後に立った少年―― ジーマは、微動だにもしないトアの頭を軽くはたき、わざと渋面をつくりながら言う。
「缶コーヒーじゃ不満か?…俺にドンペリは買えねぇぞ。我慢してくれ」
依然として顔を上げないまま、トアが呟く。
「……。どこまで買いに行ってた」
「下の販売機、きのうフリオが酔っ払った勢いで壊しちまったんだ。…2区画先の通りまで行ってた」
「……。遅ぇよ」
「寂しかった、とか言ってみるか?」
「バカじゃねぇの」
ゆっくりと顔を上げたトアが、不貞腐れた態度で缶コーヒーを睨んだ。
「無糖だろうな」
「無糖、ミルク入り、キリマンジャロだろ。…なんで2区画も先まで行ったと思ってんだ」
「……。貸せよ。飲んでやる」
「そうしてくれると片手が空く」
トアにコーヒーを渡し、空いた片手をジーンズのポケットに突っ込むと、ジーマは少し歩き、フェンスから街を見下ろしながらプルタブを引き、何気なく切り出す。
「明日、何時に行く」
ジーマに視線を遣りながら、トアはコーヒーを口に含み、一気に飲み干してから缶を置いた。
ぷはっ、と息を吐き、片手の甲で豪快に口元を拭う。
「21時。メシ喰ってから行く」
「肉でも喰いに行くか。精力つくだろ」
「足りてるよ」
「――…。なぁ、トア」
フェンスに背を凭れ、ふと真摯な顔つきをしたジーマが、空になった缶をトアに向かって投げた。
片手でそれを受け取り、トアは訝しげにジーマを見つめ返す。
「客と帰んなよ。待ってっから」
「……」
「返事」
「……。……」
こっくりと頷くトアの姿は闇に紛れ、ジーマの目には映っていない。
だが、トアがそうしたのと同時にジーマは一笑し、頷きながらトアの横まで戻ってくると、そこに腰を下ろした。
「夜明けまで、もう少しだな」
「……。あぁ」
寸時の沈黙を挟み、トアは首を傾けると、ジーマの肩に頭を乗せた。
「ジーマ。お前…EDなんじゃねぇの」
「……。実はそうなんだ」
「可哀想な事聞いちまったな。ごめん」
「自信過剰」
「当然だろ」
トアの肩に腕を回そうとしたジーマは、しかしその手を止め、溜息と共にそれをジーンズのポケットにしまい込んだ。
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