ヴァージニア州アーリントン。
各国に支部を置き、職員、軍人など二十万人以上を抱える軍事コングロマリット、通称SNIPERの本部ビルは、国防総省にほど近い場所にある。
よく晴れた空。夏が近いこの時期、日中は半袖で出歩く人も多く見られる。
本部を見上げられる位置にあるオープンカフェ。
紅い瞳はサングラスで隠しているものの、やけに人目を惹く黒髪の青年が、煙草を潰してから店内に入ってきた。
片手を上げた男に顔を向けて、小さく口角を上げる。
「立て続けに、また個性的なの拾ったな」
すこし遅めの昼食。
めずらしく昼過ぎまで本部に残っていたレインをブラッドが誘ったのは、午後一時を過ぎた頃だった。
本部から十分ほどの距離にある雰囲気のいいカフェには、仕事途中の男性客が目立つ。
「手を焼きそう、か?ブラッド」
悪戯っぽく唇の端を上げてみせてから、レインが白磁のカップに指を滑らせる。
挽きたての濃い、コーヒーの香り。
「ナイトレイドのドゥクス、ジルニトラ。ファタ・モルガナのスリー・シックス、カナマ・イヴァ。どっちも殺すには惜しい。ただの殺戮者(バカ)でもない。ものを理解できる度量がある」
「……。たしかに強いな」
「ブラッド」
紅い瞳が上から高圧的に、言葉を落としてくる。
「強いだけじゃない。解ってるだろう」
「元は敵だけど、な。おまえを殺そうとした相手だ。すんなり従うとは思えねぇけど」
「あの二人は傍に置きたい」
自信に満ちた、艶っぽい笑み。
「幹部にする」
「……」
ラフな髪を片手でかきあげて。
すこし肩をすくめるようにしてから、ブラッドが苦笑した。
「忠告しただけだ、一応な」
「触んな」
肩に触れようとした瑠璃の手を、イヴァが弾く。
とくに動じた様子もなく、瑠璃がカルテに視線を戻した。
「健康状態はすごく良好ね。あなた回復力もすごそう。こんなに優秀なコはめずらしいわ」
「……」
忌々しそうに服を掴んで、イヴァが瑠璃を睨んだ。
なにも纏っていない格好で吐き捨てるように息を吐いて、すぐに瞳を逸らす。
うんざりだ。
実験だの検査だの、データだの。道具として扱われることなんて慣れてる。だけど反吐が出る。
なんで生きてる。
やっと死ねたと思ったのに。
こんな場所にまでわざわざ連れてきて、何故だか自分を生かした男。
――――レイン・エル。
レインにつけられた傷はもう塞がっているものの、容赦のない攻撃だった。
あれは本気で相手を殺す、噎せかえるような…強烈な殺気だった。
なのに、なんで。
「エル総帥と戦って、生きてただけでも大したものだわ。あなたと、今日ここに来たコ。稀なレベルね」
イヴァが小さく眉根を寄せた。
俺以外にもいるのか。
なに考えてんだ、あのレインって男…。
自分の命を狙ってきたやつを、片っぱしから連れ込んでんのか?
濃艶なレインの姿が脳裏を過る。
「入るよ」
エントランスから現れた少年が、何も纏っていない格好のイヴァに気づいて立ち止まった。
特にく動じず軽く微笑む。
「防護服。ウチの徽章入ってるけど、気にならないなら使って」
手にしていた包みをイヴァに差し出す。
「………」
無言のまましばらく包みを見つめていたイヴァが顔を背けた。
防護服には触れずに、元から着ていたトラウザーズに足を引っかける。
「神代直樹。俺の名前。いちお言っとく」
「………」
「あんたとはたぶん、近い階級になりそうな気がするから」
「………」
近い階級?なんなんだこのガキ。
あきらかに自分より若いだろう東洋人。細くて女みたいな幼顔。ふと、腰に帯びた二本の刀に視線がいく。
紅と黒の二刀。
かなり使い込んである。
「もうひとりはどうなってんの。傷は」
瑠璃のほうに歩み寄る直樹の背中を、イヴァが睨む。
無防備なのか自信があんのか、莫迦なのか。
直樹からは殺気はおろか、警戒心の欠片も感じない。
「傷はけっこう深いわ。エル総帥、テンション上がっちゃったみたい」
「かなり強かったんじゃない。マフィアじゃなくても、よっぽどのモグリでなければ誰でも名前知ってる超一級の能力者だからね。ナイトレイドのジルニトラ(黒い竜)。ロシアの番犬ならぬ、番竜」
「ジルニトラ?」
はじめて声を発したイヴァに、直樹が顔を向けた。
反射的に、イヴァが直樹から視線を逸らす。
「まさか知り合い?そういえば、あんたもイタリアンマフィアの…」
「っ…!」
大股で距離をつめてきたイヴァが、乱暴に直樹の胸倉を掴み上げる。
「悪趣味なんだよ。勝手に調べて、なんのつもりだ」
「――――。わかってないね」
風。 鋭い風圧。
掴んでいた手を離したイヴァの鼻先に、紅い刃がつきつけられる。「あんたは暗殺者(ラ・モール)だ」
「だけど失敗してここにいる。なにも知らずにここに置いてるほうが不自然だ。ちがう?」
「……」
「必要ないなら、情報なんか集めない」
「……」
刃を鋭く叩き返して。
イヴァが顔を背けた。
それっきりなにも言ってこない横顔。息を吐いて、直樹が刀を納める。
「あんたの気分が、まるっきりわかんないわけじゃない」
直樹が口角を上げた。
「俺も同じだったからさ。レインは強いだろ」
長い通路は複雑に入り組んでいた。
上階から下階までのフロア総面積が十万八千坪という途方もない広さのオフィスビルは、順路さえ記憶していれば、一番遠い場所まで十分強で辿り着くことができる特殊な構造になっている。
上階、将官区。
人気のないフロアにイヴァを連れてきたレインが、白い扉の前で足を止めた。
「この部屋を使え」
電子音がして、エントランスが開く。
「必要そうなものは揃えておいた」
白と黒で統一された空間。
間接照明が照らす部屋の中は無駄なものがなく、ひとりで使うには充分すぎるほど広い。
「拘束はしない。本部は広いから、すこし見て回ったほうがいい。案内が必要なら、俺かブラッドが…」
「どういうつもりだ」
背後。
レインの後ろをとったイヴァが、細い腕を後ろに掴み上げる。
「感謝するとでも思ってんのか」
白い首筋を乱暴につかむ。
レインより一回り背が高いイヴァの腕は、その細腕と比べると大人と子供くらい違う。
掴み上げられた華奢な腕が、骨を軋ませる。
レインの耳元に顔を寄せて、低く、噛み付くように言う。
「殺せよ。たくさんだ」
背後に瞳を向けたレインが、艶っぽく笑んだ。
「ここにはルールがある」
紅い瞳が惑わせるように揺らぐ。
「すこしずつでいい。憶えろ」
甘い香り。存在感のある唇が、イヴァに近づいて…
「俺は…」
首筋に舌を這わせる。
その濃艶さに魅入ったイヴァの瞳を、真っ直ぐに見上げて。
「触れられるのが嫌いだ」
焔。
鼻先を焼いた焔によろめいたと同時に、レインを掴んでいた右腕が炎上する。
「っ!……ッ!」
「心配するな」
紅が消える。
熱こそ感じさせたものの、肌がひりひりする程度で、腕に火傷の痕は見られない。
「ただの威嚇だ。いちど焼かれたおまえには効くだろう」
「……ッてめぇ…」
「おまえは強かった」
莫迦にしたふうでもなく、ただ素直に。レインが言う。
「そういう相手だとどうしても、ブレーキが利かなくなるんだ」
「…どういうつもりだ」
「なにが」
「なんのために、俺を――――」
「生かしたのは俺だ」
当然のように。レインがイヴァの頬に触れてくる。
「おまえを生かすのも殺すのも、俺の自由だ」
唇が触れ合いそうな位置で囁く。
「さっきの補足」
キス。
触れるだけのキスをして、すぐ傍で笑む
「俺から触れるぶんには問題ない。憶えておけ」
――――冒頭部分です。
ここから、イヴァの参入時の様子やシオウ、直樹、ブラッド、レインの初期の頃の姿、
イヴァとラヴロッカの隠された過去から、現在までが描かれています。